「レディ・ソウル」アレサ・フランクリンがすい臓癌だそうだ。68歳。
オバマ大統領就任式典でみたあの太りようとか、癌の部位や年齢を考えるとなかなかに厳しいかな??
飛行機嫌いの彼女、来日経験はない。
すっかりライブの現場から遠ざかった僕であるが、彼女は見残した二人のうちの一人である。
もう一人はヴァン・モリソン。こちらも飛行機嫌い(笑)。
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ということで、そのニュース報道後はなんだかんだと毎日想いにふけってアレサを聴いている日々であります。
このアルバムは67年発売、アトランティック移籍後の最初のアルバム。僕が持ってるこれはセンター・レーベルが青系のステレオのオリジナル盤。やっぱりモノラルが欲しい・・・・。
その前に所属したコロンビアでも10枚近くのアルバムを残しているが、コロンビアは彼女をダイナ・ワシントン寄りのポップ路線で売り出したかったらしく、教会出身の彼女としてもセールス的にも、どうにも上手くいかなかったらしい。今聴くと、コロンビア時代もいいんですけどね。。。
彼女に惚れこんでいたアトランティック・レコードの「黒人担当」、ジェリー・ウエクスラーは念願の彼女を口説き落とし移籍させる。
ジェリーさんは当時最もヒップな音を紡ぎだしていたアラバマは「フェイム」というスタジオにレコーディングのため彼女を送り込んだ。
スタジオに着いた当時のマネージャーで暴力亭主のテッド・ホワイトは、スタジオに居たミュージシャンが白人ばっかりだったので激怒し、殴り合いの喧嘩になったという逸話は有名であります。
リック・ホール率いる「フェイム」こそ、当時最高のソウル・サウンドを生み出していたが、後に独立して「マスル・ショールズ」というスタジオを立ち上げるミュージシャン集団はほとんどが白人だったのです。
これこそ「SWAMP」サウンドの核なのですな。
メンフィスのスタックスが誇る「ブッカーT,&ザMG’S」もそうですが
マーティン・ルーサー・キング牧師がメンフィスで凶弾に倒れる以前、少なくとも音楽を創る現場では
人種を超えた融合&創造が南部では当たり前に行われていた、という事実は認識していないといけません。
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このアルバムでのフェイムのセッションがアトランティックでの彼女の最初の大ヒットとなった「I NEVER LOVED A MAN」とダン・ペン(これも白人)による「DO RIGHT WOMAN-DO RIGHT MAN」の2曲。
残りはフェイムのミュージシャンをニュー・ヨークのアトランティックのスタジオに呼んでのレコーディングです。
このアルバムには肌の色には関係ない(特に前述の2曲)「音楽」という魔法の力が確かに存在しています。
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僕は勝手に「BABYもの」というジャンルを作っているのですが(笑)、
そのなかでも最高部類に入るのが「DON’T LET ME LOOSE THIS DREAM」とその名もずばり「BABY,BABY,BABY」の2曲。
このジャンルは「BABY」という一言にどれだけの想いが詰まっているか、というのが判断基準です(笑)。
そんな曲が二つも入っているこのアルバムが悪いはずがありません!!!!