そばですよ
大好きな平松洋子さんの「そばですよ」読了。
このお方の食いしん坊ぶりは、どの本を読んでもうっとりします。
東京の立ちそば26店のそれぞれの物語。
この本を片手に掲載された店を巡ろうなんて野暮なことは僕はしない。
立ちそばというスタイルをあえて選んだ個人事業主の店には、やはりいろいろな歴史があり思いを含めたドラマがある。
そして、自分にとっての立ちそばを再考してみる。
あ、敢えて「食い」を抜いた表現に平松さんの愛を感じるのだ。
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浪人時代まで埼玉の吹上町というところで過ごした僕が、上京する際に食を済ませていたのはほぼ立ちそばだと思う。
上京と言っても、立ち寄るのは高崎線で一本、約1時間の上野、秋葉原、お茶の水、水道橋(ここで初めてエレキギターを買った)そんなもんじゃなかったかな?
それも、年に2、3回であろう。
まだ埼京線も開通していなくて、山手線の西側に行ったのは中学の同級生とサンシャイン60ができて、池袋に赤羽線乗り継いでみんなで遊びに行ったくらいしか記憶にない。
ぴあもシティ・ロードも存在さえ知らないので、新宿とか池袋とか
そういうところでライブを観たり、映画を観たり、という発想がなかった。
浪人時代は原宿の代ゼミに通ってたので、まぁそこからいろいろあり、笹塚での一人くらいで激変するのですが(笑)。
そんな感じである。
東京に出てきても、まずどこで飯を食べていいのかがわからない。
中高生が安価で一人飯を済ませる場所が見当たらないのだ。
当時はコンビニもない。
吉野家とかもそんなにないし(熊谷に吉野家ができたのが高3の時だ)
マック?東京のマックなんてハイカラ過ぎて田舎者にはとてもじゃないが入りづらい
ラーメン屋も当時は専門店なんかほとんどなかった。
ラーメンは街中華屋さん。でもあそこは大人が昼から瓶ビールと餃子っていうイメージで、中高生には敷居が高かった。
で、結局立ちそばになる。唯一中高生があんまし悩まなく腹を満たせた場所だ。
場所は上野駅構内。
13~17番線だったな?とても薄暗い最下層のホームがあって、そこから高崎線の始発が出てたのだが、そこの立ちそば屋ばっかり行ってたな。
そこで食いっぱぐれると、帰る前に吹上駅で改札出た左の5人くらいしか入れないところで。
そういうところでも勿論常連さんがいて、店の人とのやりとり具合が実は眩しく思えたんだよな(笑)。
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あの時とは随分捉え方は変わったとは思うけど
立ちそばは僕にとってのファストフードかもしれない。
滞在してもたかだか10分か15分。
でも、そこにはファストフードのチェーン店にはない人情味みたいなのが何故か流れてる気がする。不思議な食べ方である。
何かの記事で読んだんだけど
蕎麦というのは、江戸時代に高貴な方が食べる本格蕎麦と
地方から出稼ぎに来た労働者が、早く腹を満たすぶっかけスタイルに二分化したそうな。
どちらも好きだ。
どちらも蕎麦だ。
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「そばですよ」文中で山口良一さんが語った言葉が腑に落ちたので、勝手ながら引用したい。
「立ち食いそばは「しょせん」っていうところがちょうどいいんです。お店の人はそれなりに味のことを考えてらっしゃるでしょうけど、食べる側としては「おいしいもの食いに行くぞ」と構えてない。とりあえずなにか食いたいなっていうスタンスだから」
一応、生業の糧として何十年も食に携わった57歳の今の僕は
これが一番収まる感じがしてる。