22日(月) BOBとRITAは「いい夫婦」なのか?

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本日のタイトル、意外と深い気もするが・・・まぁどうでもいいです(笑)。
 
お客さんのリクエストで久しぶりに聴いたレコード。1973年の英アイランド・レコードからの世界デビュー2枚目。
 
そしてこれがピーター・トッシュ、バーニー・ウェイラー、ボブ・マーレィ3人によるコーラス・グループとしての最後の作品となる。その後はボブさんのカリスマ性が特出していくのでありますが。
 
僕は「バンド」や「グループ」が好き。
 
ウェイラーズも知らないうちに表記が「ボブ・マーレィ&~」になり、フェィセスも知らないうちに「ロッド・スチュワード&~」になる。
 
チーム・バランスが崩れるのはあんまし好きじゃない。
 
意図的に表記をフロント・マン主体にすることは商業的にしょうがないことかもしれないが、再発の際に、あくまでもバンド名義で出している作品にも彼の名前を全面に押し出すものには凄く違和感を感じる。
 
オリジナル・ウェイラーズの最後の作品となったこのアルバムには、故に思い入れがある作品だ。
 
ジェリー・バトラーやカーティス・メイフィールドが在籍したインプレッションズを参考にした3人の甘く絶妙なコーラス・ワークにリズム・セクションのバレット兄弟が紡ぐ脅威のファンクビートが絡まった夢のような音が、ここにはたくさん詰まっています。
 
バレット兄弟のサウンドが鋭角的になり、後に「レゲエ」と呼ばれる音楽に進化するのには、ニュー・オーリンズのファンク・バンド「THE METERS」ともちろんジェイムス・ブラウンの影響が大だ。ミーターズデビュー時(69年)と同時期のリー・ペリーの作品を聴くとよくわかる(THE UPSETTERS:EASTWOOD RIDES AGAIN 70年)。
 
ちなみにミーターズのドラマー、ジガブーの独特のドラム・スタイルはあのレッド・ゼッペリンのボンゾにも多大なる影響を与えている。ジョシー時代のミーターズとゼッペリンを聴きくらべると、驚くほどドラム・パターンが酷似しているので是非。
 
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このレコードにはもうひとつの思い出がある。
 
僕が高校生だった80年代前半のお話。
 
当時、僕は「THE POLICE」に夢中だった。彼らはレゲエを基調とした音楽を奏でていた。
 
高校時代、学校で唯一の音楽仲間、N田S哉に聞いてみた。「ねぇ、レゲエってなに?」
 
「あ、ジャマイカにボブ・マーレィっていう人がいるんだってさ。聴いてみれば?」
 
早速熊谷のダイエーにある新星堂に行って購入したのがこのアルバムです。なぜこれを選んだのかは覚えてない。もしかしたらこれしか在庫がなかったのかも(笑)。
 
唯一の来日コンサートも、81年の死去のニュースもほぼリアルタイムなのに、東京まで1時間でたどり着く田舎町でさえこのくらいの情報量だったのだ、当時は・・・。
 
ちなみに僕にレゲエを教えてくれた彼は、高校卒業後に元祖ビジュアル系バンド(笑)、グラス・バレーのメンバーとしてデビューする。そして僕はそのバンドの初代ローディーなのであった!!
 
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なので、僕の持っているこのレコードは高校当時に購入したポリスター発売の日本盤。2000円です。UKアイランドのオリジナル盤を聴いてみたいけど・・・・高いだろうなぁ・・・・・・。
 
中学~高校生当時に買ったレコードはなかなか手放すことができない。部活動で忙しく、なかなかバイトなんか出来ない環境で、少ないおこずかいをなんとかやりくりして購入したレコードを繰り返し、それこそ擦り切れるほど聴いたので、いろんな思いが詰まっているのです。
 
今のようにネットでの情報もなく、田舎で買える音楽雑誌なんて数えるほどで。
 
田舎町のレコード屋には当然売れるものしかなくて、中古レコード屋さんなんてどこにもない。貸しレコード屋というものが街に出現したのが高校3年生の時。ちなみに中古レコード屋さんは、高校3年の後半に隣町の熊谷にようやくできた。
 
そんななか、唯一の情報源は友人だったり、楽器屋やライブで知り合った先輩たちだったりするのだ。そして忘れちゃいけない「ラジオ」ですな。当時はLPまるまる一枚流してくれたり、いろんなアーティストの情報を田舎町に届けてくれたのがラジオという媒体だったのです。
 
僕の知らないことを知っている友人や先輩はホント大人にみえた。そしてそういう人になんとか近づきたいなぁ、って思ってた。
 
そんなことを急に思い出した次第。
 
・・・・・・僕もおっさんになったなぁ(苦笑)