引っ越しで出てきた思い出:その2

発掘された賀状の紹介
 
 
2通目は1982年、ということは高校1年の時だ。
 
送り主は荒井先生。
 
 僕の中学2年の時の担任の先生である。
 
 
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遠足の時のバス車中。
 
一番後ろで荒井先生は楽しそうにヤマハのフォークギターを弾いていた。
 
 
♪ジャ・ジャ・ジャ・ジャン、ジャ・ジャ・ジャ・ジャン♪
 
 
「うわっ、カッチョイイ!!」
 
 
これが僕が音楽に目覚めるきっかけ。
 
曲は井上陽水の「東へ西へ」。
 
僕の最初はマイナーコードなのである。。。
 
Cmじゃなくて3カポのAmだな(笑)。
 
 
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当時は土曜も午前中は授業があって。しかも荒井先生は野球部の顧問で。
 
そんな大して休日もないような状況で、僕はしょっちゅう荒井先生の熊谷のアパートを訪ねて、いろんなレコードを聴かせてもらった。
 
 
ビートルズのレコードを全部貸してくれたのも荒井先生だった。
 
それをカセットテープにダビングして貪るように聴いていたのが僕の中学2年の全てだ。
 
 
「SHE LOVES YOU」で電流が全身にしびれるように流れた。
 
 
いまだにこれ以上の衝撃的な音楽体験はないのだ。
 
ここが全てのスタート。
 
荒井先生が今の自分の人生のきっかけを作ってくれたのである。
 
本当にありがとうございます。
 
 
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今の生徒と先生の関係ってどうなってるのか知る由もないが。
 
いろいろ「コンプライアンス」とかあって、ここまで個人的な濃密な関係は構築できないんだろうな、というのは想像がつく。
 
でも、こういう関係が僕にとってはその先の人生を形成する大事な核になってるのは事実だ。
 
 
職員室にギターを持って入っていって
 
「荒井先生!!ブラック・バード弾けるようになりました!!!」
って、目の前で弾いてみて
 
「キノコ!!上手くなったなぁ!!!」って褒めてくれる先生
 
今じゃそんなの、ありえないんだろうなぁ(笑)。
 
いい時代っていえばいい時代だな。
 
 
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賀状を読み直す。
 
 
当時は勿論全くわかんなかったけど、その後の僕の音楽人生は荒井先生が示唆した通りになった。
 
 
ジミヘンのレコードを買ったのは40歳過ぎてからで、クリームは未だ一枚も持ってないのだが(笑)
 
 
その後をちゃんと教えてくれてる文章にちょっと感動しましたよ。
 
 
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話しは変わるが
 
高校の同級生にF彦という奴がいて
 
こいつは音楽ライター、妹尾ミエさんの弟なのである
 
あいつはほぼ情報量がない埼玉の田舎町でブルースに触れていて
 
当時ストーンズに夢中になってた僕に、いつも説教を垂れていたのである(笑)。
 
 
ストーンズはブルースなんだよ!わかる?マディ、知らないとダメだって!!!」
 
当時「こいつ、何言ってんだ?頭おかしいんじゃないの?」と
 
はなから相手にしなかった僕が「I CAN'T BE SATISFIED」のスライドギターに心を奪われたのは
 
その2年後。
 
大失恋をした後、笹塚のアパートで毎夜泥酔している時だった。
 
ごめんね、気がつくのが遅くて。。。。。君が正しかったよ。
 
 
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高校3年の文化祭
 
F彦は「MOJO WORKIN」で朗々とブルースハープを吹きまくっていた。
 
 
勿論、誰にも相手にされるわけがなく(笑)。
 
 
 
僕らは、といえば
 
薬師丸ひろ子似、女子テニス部のミッチャンをヴォーカルに担ぎ出し
 
「ミッチャンバンド」として聖子ちゃんと明菜の唄ばっかり演奏して
 
 
バリバリ・リーゼントのヤンキー達から大声援を受けたのであった(笑)。
 
 
こういう「バランスのとり方」は今の生き方に少なからずも影響を与えてる
 
ような気がするんだよなぁ・・・・・。