28日(日) 30年前のこと

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1957年、ウエスト・コースト・ジャズの名門レーベル「コンテンポラリー」から。
 
ダウンビート、メトロノームなどの雑誌で各楽器のベスト・プレイヤーに選ばれた人達で結成したのがこの「THE POLL WINNERS」です。ギターのバーニー・ケッセル、ベースのレイ・ブラウン、ドラムのシェリー・マンといういずれも名手ばかり。ウエスト・コーストらしく、うたごころ溢れるリラックスした演奏が楽しめます。
 
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実はこのレコードは30年前からうちにある。
 
中学生だった僕は、2年の担任だった荒井先生のうちに遊びに行った。この先生は僕に音楽を教えてくれたまさに恩師である。バス旅行の時に座席の後ろで先生が弾いてくれた井上陽水の「東へ西へ」がかっこよくて、僕はギターを始めた。そう、3カポでAm~Em~Amとやるあの曲。
 
ビートルズに興味を持たせてくれたのもこの先生だった。「ゆっくり聴いてていいいからな」といって、ビートルズの全アルバムが入った日本盤のボックス・セットを惜しげもなく貸してくれたのだった。カセット・テープに録って、それこそテープが伸びるまで聴いた。以来、僕の音楽の基本はビートルズなのですな。
 
そんな先生はジャズが大好きで。
 
ジャズなぞ全くわからないハナタレ小僧の僕は先生にこう質問した。
 
「先生、ジャズってなに聴けばいいんですか?」
 
そしたら貸してくれたレコードがこれ。「キノコはギター弾くからこれ聴いてみな」と言って貸してくれた。以来30年間僕の手元にある。
 
これはそう、いわゆる「借りパク」になる(笑)。
 
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一昨日の土曜日、店を休んで30年ぶりの中学の同窓会に出席した。そりゃ~もう楽しかったっすよ!!昼の12時から飲み始めて、終了したのが夜中の0時過ぎ。6件はしごした(笑)。
 
久しぶりに逢った昔の仲間からたくさんの元気をもらいました。当時の音楽仲間には、まだ楽器を弾いている奴らがたくさんいた。そうそう、45歳なんてまだまだなのだ。ブルースマンでいったら「若手」なのだから(笑)。
 
まったく思い出せないやつ、風貌&キャラが豹変していたやつなどもいて、それはそれで面白かった。
 
あんまり親しくなかった奴らから「キノコ、昔からギター上手かったよな」なんて言われて、「あぁ、当時そう見られてたんだ」なんて不思議な気分になったり。僕の印象はテニス部よりギター弾きだったんだなぁ、って。
 
今回初めて同窓会に参加して一番嬉しかったのは、荒井先生に逢えて、このレコードを借りっぱなしになっていたことを詫びれたこと。そして先生のおかげで音楽にのめりこんで、その挙句音楽にたずさわる仕事を生業としていることを報告できたことだ。
 
もっとも先生はレコードのこと覚えてなかったが(笑)。
 
先生、是非とも飲みにきてくださいまし!ここまでこれたのも先生のおかげです。もちろん御代は要りませんぜ!!!
 
そして昔の仲間のみなさん、また楽しい酒を酌み交わしましょう!!でも、あなたたちからは御代は頂きますけどね(笑)
 
そういえば、僕らが中学生の時はよく先生のうちに遊びにいったものだ。時には毎週のように押しかけていろんなことを教わった。
 
今の中学生たちはそういう先生との交流はあるんだろうかねぇ???
 
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あれから30年経ったが、実はモダンジャズは未だに僕の範疇外なのですけどね。
 
けど、このレコードの主役、ギターのバーニー・ケッセルはジャズだけでなく、ロック、ポップス、R&Bの名うてのセッション・マンとしての顔も持つのです。
 
50年代ニューヨークはアトランティックのドル箱ノベルティドゥーワップ・グループ「コースターズ」の印象的なギターリフを弾いていたのも彼。「SMOKEY JOE’S CAFE」「SEARCHIN’」「YOUNG BROOD」なんかのリフはバーニーさん。
 
アトランティックのソング・ライティング・チーム、「リーバー&ストラー」に師事していたフィル・スペクターは、西海岸で自己のレーベル「フィレス」を立ち上げた時にも彼をセッションマンとして呼んだ。だからロネッツやクリスタルズのバックでも彼はグレン・キャンベルらと共にギターを掻きらなしている。
 
フィル・スペクターに憧れ続けたビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンは、レコーディングの際にはフィレスのお抱えバンド「レッキング・クルー」をそのまま使った。
 
今の時代「世紀の名作」と呼ばれている、ビーチボーイズの「PET SOUNDS」のギターもバーニー・ケッセルなんですね。
 
モータウンの「ファンク・ブラザーズ」もそうだが、自己表現のジャズとは別に、仕事としての演奏をきっちり割り切るところがアメリカの映画や音楽が「産業」として当時から確立していたいい見本である気がします。
 
そして、だからこそ、演奏家は「表現者」としての自己欲求を満たすべく、ジャズに傾倒したのではないか、と。
 
スウィング~バップ~モダンの流れとポップスとの関連性と構図がこんなところから垣間見れたりします。