29日(月) 僕とフリオと校庭で

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先日のバンバン・バザールの話を読み直してみて、ついつい聴きたくなったレコード。
 
夏くらいだったか、久しぶりにバンバンの福島君がイノトモと店に来てくれて、新譜をプレゼントしてくれたのだ。
 
「初めてアナログ盤を作ったのよ!いや~いろいろ勉強になったよー」
 
さすが福島君、僕の好みをわかっていてくれて、そのアナログ盤を持ってきてくれた。
 
彼とは歳が近く、若い時に聴いていたり影響された音楽が似通っていることもあって、逢えば音楽の話でやたら盛り上がる。
 
この男、やたらしゃべる。車で来てるから、アルコールも入っていないのに(笑)。
 
そんな日に言っていた言葉が妙に印象に残っている。
 
「新しいアルバムに入っている「俺と田代と校庭で」はポール・サイモンが元ネタなんだよ。こういうのわかってもらいたいんだけどなぁ・・・・・難しいなぁ・・・・・・・」
 
福島君、わかんないよ、昨今の若者は(笑)。
 
けど、こういうの拾って紹介するのが、もはやバンド活動をしていない音好きな飲み屋の店主の、音楽に対する恩返しなのだ。
 
音は過去と繋がっている。言葉も繋がっている。
 
「オリジナル」とは今まで見聞きしてきたものを自分のフィルターを通して表現すること。
 
好きなアーティストがいて、その人のことや作品をもっとわかりたいのであれば、過去を遡る作業というのは僕にとってはすごく重要だ。
 
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さて、このアルバムはサイモン&ガーファンクル解散後に出した、ポール・サイモンのソロ・ファースト・アルバム。1971年発売。レーベルはCBS。このジャケットで着ている彼のミニタリー・ジャケットが好きで、購入してから20年経った今も捨てられないでいる(笑)。
 
この人、実は元祖「ワールド・ミュージック」のひとり。
 
エヴァリー・ブラザーズに影響され、若きキャロル・キングと交流を深めたりした学生時代にアメリカン・ポップスの王道を行き、
 
その後渡った英国でトラッドの香りを思う存分吸い込んだ彼は、世界中のヒップな音楽に自分のアンテナが向くままに触手を伸ばした。
 
S&G時代の「スカボロフェア」も英国伝承曲で、「コンドルは飛んでいく」もペルーの民謡だ。
 
S&Gというビッグ・ネームの呪縛から解き放たれたポールさんは、このアルバムでもその雑食性を遺憾なく発揮している。
 
一曲目から当時まだ欧米社会に完全に認知されていないレゲエ。それも単身ジャマイカキングストンに乗り込んでの録音。
 
フォルクローレのエッセンスを入れたかったらペルーのミュージシャンを呼び、ジプシー・スウィングに目を向けたら、パリまで行ってジャンゴ・ラインハルトの盟友、ステファン・グラッペリと録音したりする。
 
表題の「僕とフリオと校庭で」のパーカッションは、ウエイン・ショーターとの競演も有名なブラジリアン・パーカッショニストアイアート・モレイラだったりする。
 
90年代にワールド・ミュージックがもてはやされる遥か20年前に、ポール・サイモンはいとも簡単に旅を続けていたのであった。
 
その辺は細野晴臣と近い感覚かもしれない。
 
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またポール・サイモンを彼たらしめるのはその歌詞だ。
 
実に面白い。明らかに小説好き。
 
あのジョン・スタインベックを彷彿とさせるストーリー・テラー。
 
生活の一部分を切り取って展開させる手法は、フッツジェラルドやカポーティーぽかったり。
 
「僕とフリオと校庭で」はなかなかに難解。
 
お母さんがつばを吐くほど嘆いた「AGEINST THE RAW」(法律違反)は、僕とフリオとの同性愛疑惑も向けられる。
 
けど、それに対しては自身からは結論を出さない。全ては聴く側に委ねた想像の域。
 
自分の意志を人に押し付けるのではなく、いろんなことを想起させる言葉を提示するというのも優れた詩人の資質のひとつだ。
 
そこには確固たる答えはなくて、全ては自分自身との向き合い方。
 
ボブ・ディランはまさにそうだ。
 
 
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福島君、こんなかんじでいいかね?(笑)