近況報告37 たずねびと

僕は普段ツィッターフェイスブックを使っているのだが、

投稿でこんな記事に出会ったのであります。

facebookの『メッセージ』がたまっている場合がある」

・・・へぇ~。そんなことあるのか。


と、とりあえずメッセージを開けてみると。


普段、全然気にしていなかった「メッセージリクエスト(3)」というのが目についた。


「なんだこれ?」とそこをクリックしてみると・・・

なんと未読のメイルが3通あったのでございます(苦笑)。


今日はその中の1通から話が始まります。


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その1通はなんと半年前に送られてきたもので。

その差出人はお聞きしたことのない女性の名前。


誰だろ?とメイルを読んでみる。


するとその内容に見慣れた文字があった。


なんと、僕の大学時代の彼女の名前!!


そう、メイルをくれた方は元彼女の友人なのでありました。

急いで半年遅れの返信のお詫びを入れ、メイルをやり取りするうちに彼女の旧姓を知った。


あ、わかりましたよ。

何度かお逢いしたことあるよ(笑)。


メイルの内容は、大親友だった僕の元彼女の連絡先を知らないか、というものであった。


なんでも随分前に携帯電話を紛失してしまい、まったく連絡が取れなくなってしまったらしい。


今更だけど、携帯って便利だけど、こうういうことがあるよね。

昔はちゃんと電話帳みたいのにメモしてたりとか、好きな娘の電話番号はそらで覚えてたりしたもんである。

かくいう僕も何年か前に携帯が壊れて、随分沢山の人の電話番号を紛失してしまい焦ったが、まぁこれっきりの人はそういう運命なんだし、繋がっていく人とはなんとかなるだろと開き直ったら随分気が楽になって

とりあえず、今の生活に支障がないから不思議なもんである。


で、その元彼女の連絡先は僕にもわからない。

実は10年くらい前に店に呑みに来てくれたことがあった。

何故来たかというと「貸してたレコード返してくれ」という実に現実的な問題だった(笑)。


それでもちょこちょこ電話したりするようになったのだが

些細な事で喧嘩してそれっきりだ。


どうしているかまったくわからない。


みなさん聞きたくも話かもしれないが、

30年前もの昔話。

その彼女とのおつきあいの話を少しします(笑)。


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最初の出会いは女友達のライブを観に行った時だ。

彼女はアルトサックスを吹いていた。


そのバンドはヨーロッパの音楽に傾倒していたころの大貫妙子のカバーをやってた。

当時の僕には全く興味のわかない音楽でどうでもよかったのだが(すまん)


サックスの娘はなんだか気になってキーボードの友人経由で連絡先を聞き出して

それからほどなくしておつきあいするようになった。


大学時代の僕は、ここ田舎の埼玉から東京は笹塚で独り暮らしを始めて

そのくらいから同時代の音楽にほとんど興味を示さなくなり、新宿や御茶ノ水、渋谷をうろつきながらひたすらブルースやらソウル、R&Bのブラックミュージックのレコードを買い漁っていた。


彼女と言えば、僕の知らない音楽を沢山知っていて、随分びっくりしたもんである。

「やっぱり東京生まれ、東京育ちの人間は違うなぁ・・・」

なんて本当に思った。


1986年当時、まだネットなんかないし、その音楽の全体像を知るにも情報が限られていた時代。


彼女から手渡されたカセットテープには、僕の知らない弾けんばかりの素敵な音楽が詰まっていた。


「INTENSIFIED SKA!」という当時あまりリリースされていなかったスカ・ミュージック中でも素晴らしい内容のコンピレーションアルバム。

ウィリー・コロンやルベン・ブラデスなどのサルサを教えてくれたのも彼女だった。

パブ・ロックの名盤「THE LONDON R&B SESSIONS」なんかもカセットテープで僕の元へ届けられた。


デートはもっぱらレコード屋さん巡り。


そのうち同じレコードをだぶって持っていても非経済的だということで

ジャンル分けしてレコードを集めようということになり。


彼女の担当はルイ・ジョーダンなどのジャンプ・ミュージック

僕はどっぷりはまっていたニュー・オーリンズR&Bとジャイブ・ミュージック


なにせ大学が御茶ノ水という素晴らしいロケーションだったので(笑)

毎日がレコードハンティング。

とりあえず学校に行く前にディスク・ユニオンの「本日入荷」コーナーを全部見るのが日課

レコード買ったまま錦華公園でビール呑みながらレコードのジャケット眺めて

早く聴きたいものだからそのまま学校に寄らず帰っちゃうというのもしょっちゅうでね(笑)。


そんなことだから、当時リリースされていたルイ・ジョーダンのレコードなんかは全部あったんじゃないかな?

それは僕が買おうとそのまま彼女の元へ。これは決まりだった。

で、カセットテープにおとしてもらって僕が聴く。

ま、その逆も当然あって。


そんなこんなで、当時にしたら相当な音楽の情報量を摂れたんじゃないかなぁ。


大学を卒業して、僕はサラリーマンになり

彼女はまだ学生だったのだが


なんだか次第に生活のサイクルが合わなくなり、


それからほどなくしてお別れすることになった。

イメージ 1

一緒に行ったライブでもらったスリム・ゲイラードの直筆サイン。

一生の宝物です。


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なんでこんなこと長々と書いたかっていうと、

今、僕がこうやっている上での

一つの大事な時代だったのです。


あの時代に沢山の音楽を浴びたことが今に繋がっている。


人の縁って不思議なもので


最近は全部が必然なんだよなって思ってる。


人との出会いや別れが自分を形成している。


全部が財産です。



なんか「そうなんじゃないかな」とか「もっと知りたいな」なんてうっすら思ってると必ず大事な出会いがあったりする。


ニュー・オーリンズR&Bを愛好して遂には3回もかの地を訪れ

そんなこんなでこの音楽の師匠、文屋さんにひょんな繋がりでお逢いして、未だにお世話になってたり。

その周辺でバンドやってた人達がとにかく世界中のいろんな音楽を知っていて、

音楽の「聴き方」ということに関して凄く影響を受けた。


またバンドメンバー募集を渋谷のレコード屋に張っていたら、電話かけてきた人がスカ・フレイムスの人で

その頃ひょんなことで知り合った飲み友達の同級生がフレイムスのベースだったりで(笑)


それからこのバンドには沢山お世話になり、いろんな素敵な音楽を教えて頂いた。


カリプソとの出会いなんかもその一つだった。


そう。

今に繋がる僕の大事な財産はこの大学時代が原点なのだと思う。


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そんな彼女の事、今となってはすっかり忘れていたが

何故だか50歳を前にこうして思い出しているというのも不思議なもんである。


これも何かの必然なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

別に縁りを戻したいとかそういうんじゃないよ(笑)。


僕にとって久しぶりの名前は、

こうやって自分の人との繋がりの大事さを再確認させてくれた。

忘れちゃいけないことなんだよね。


だから感謝してます。



この歳になって、地元に戻って再び繋がった中学の同級生たちもそう。

それなりに長く生きてくるって

こういうことなのかもしれない。

自分が戻れる場所の再確認は必然だったのかなと思う。

大事にしていきたいです。



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メイルをくれた彼女の友人も、もしかしたらそういうことなんじゃないかな、とか勝手に思ったりしています。

違ったらごめんね。


こういうこと、こういう場所に書いていいのかどうかは正しい判断ができないのですが


僕ができることってさんざん考えた挙句


これしかできないんだよなぁ。


なので、こういうことしちゃいけないよ


という方々にはごめんなさい。

最初に謝っておきます。



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もし

万が一ですが


僕のブログを読んでいてくれたら是非ご一報ください。


君と連絡を取りたがっている人がいます。


どやさん、心配してるよ。