柄にもなく
柄にもなく、自分に何が出来るか考えてます。
今ヨーロッパで行われている、フットボールの試合「チャンピオンズ・リーグ」や各国リーグ戦で
みんなが喪章をつけ、スタジアム全員で黙祷をささげてくれてます。
外からの眼を意識すること
だからかな?
それはこの気持ちのひとつの要素だけかもしれないけど
今回のこの震災を
僕にはとても他人事とは思えないのです。
*************
確かに東京で生活する僕らも不自由な生活を強いられています。
でも、些細なことです。
今までモノと情報に溢れた「快適」な生活を
ほんのちょっと見直すだけでいいのです。
確かに僕の頭の中は不安でいっぱいです。
「この先、こんな状況でこの商売で生きていけるんだろうか」と。
でも、それは自分で努力すればかならず切り開ける、と信じてます。
やるしかない。
飲み屋というものが
こんな時でも、この場所に存在する意義は必ずあるはずです。
みんながひとつの場所で顔を合わせて声をかけるということ。
絶対に意味があるはずです。
それはネットの繋がりでは決して得られないものだと
僕は信じてます。
みんなに必要とされている間は
頑張りぬきたい。
一度店を潰してしまい、必要としていたみんなに迷惑をおかけした自分への反省です。
**************
そして
そんなギリギリかもしれない生活のなかでも
僕らよりギリギリの状況に置かれた人達に対して
なにか出来ないもんかと
柄にもなく
ず~っと考えている次第です。
義援金募集のほかにもまだまだあるはず。
**************
「音楽の力」という言葉があります。
普段僕は「音楽なんてなくても生きていける」と断言しています。
それはどういう意味かと言うと
音楽に依存した生活を送りたくないから。
ヘッドフォンで自分だけの空間を外に持ち出すほど「音楽」に占有されたくないという自分への戒めです。
だから
独りで酒を飲んでるときも、電車に乗る時も、自転車をこいでる時も
全くの「無音」です。
けど、頭のなかではいつもなにかしらの唄が自然に出てきている。
そして頭の中でずっと唄っている。
困った時や行き詰った時
僕はその頭の中の音楽に助けられてます。
これが僕が思う「音楽の力」です。
今回もそう。
頭の中でずっと鳴り響いている声がある。
*****************
幸い僕の周りには、たくさんの飲み友達と、たくさんのフットボール仲間、そしてたくさんの音楽同志がいます。
「飲み屋」というみんなが集まる場所を作っている以上
今回の僕はなにかやらなければいけないような気がしてます。
それはちっちゃなことなのかもしれないけど
テレビ報道やネット情報をみて現状に対する不満を述べるよりも
僕は自分で少しでも動くことを選択します。
それを具現化するために
僕はもう少し考える時間が必要なのですが
必ずや形にしたいです。
みなさんのお力を少しだけ貸してください。