柄にもなく

柄にもなく、自分に何が出来るか考えてます。
 
 
今ヨーロッパで行われている、フットボールの試合「チャンピオンズ・リーグ」や各国リーグ戦で
 
みんなが喪章をつけ、スタジアム全員で黙祷をささげてくれてます。
 
 
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外からの眼を意識すること
 
だからかな?
 
それはこの気持ちのひとつの要素だけかもしれないけど
 
今回のこの震災を
 
僕にはとても他人事とは思えないのです。
 
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確かに東京で生活する僕らも不自由な生活を強いられています。
 
でも、些細なことです。
 
今までモノと情報に溢れた「快適」な生活を
 
ほんのちょっと見直すだけでいいのです。
 
 
確かに僕の頭の中は不安でいっぱいです。
 
「この先、こんな状況でこの商売で生きていけるんだろうか」と。
 
 
でも、それは自分で努力すればかならず切り開ける、と信じてます。
 
 
やるしかない。
 
 
飲み屋というものが
 
こんな時でも、この場所に存在する意義は必ずあるはずです。
 
みんながひとつの場所で顔を合わせて声をかけるということ。
 
絶対に意味があるはずです。
 
それはネットの繋がりでは決して得られないものだと
 
僕は信じてます。
 
 
みんなに必要とされている間は
 
頑張りぬきたい。
 
一度店を潰してしまい、必要としていたみんなに迷惑をおかけした自分への反省です。
 
 
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そして
 
そんなギリギリかもしれない生活のなかでも
 
僕らよりギリギリの状況に置かれた人達に対して
 
なにか出来ないもんかと
 
柄にもなく
 
ず~っと考えている次第です。
 
 
義援金募集のほかにもまだまだあるはず。
 
 
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「音楽の力」という言葉があります。
 
普段僕は「音楽なんてなくても生きていける」と断言しています。
 
それはどういう意味かと言うと
 
音楽に依存した生活を送りたくないから。
 
ヘッドフォンで自分だけの空間を外に持ち出すほど「音楽」に占有されたくないという自分への戒めです。
 
だから
 
独りで酒を飲んでるときも、電車に乗る時も、自転車をこいでる時も
 
全くの「無音」です。
 
けど、頭のなかではいつもなにかしらの唄が自然に出てきている。
 
そして頭の中でずっと唄っている。
 
 
困った時や行き詰った時
 
僕はその頭の中の音楽に助けられてます。
 
これが僕が思う「音楽の力」です。
 
 
 
今回もそう。
 
頭の中でずっと鳴り響いている声がある。
 
 
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幸い僕の周りには、たくさんの飲み友達と、たくさんのフットボール仲間、そしてたくさんの音楽同志がいます。
 
「飲み屋」というみんなが集まる場所を作っている以上
 
今回の僕はなにかやらなければいけないような気がしてます。
 
 
それはちっちゃなことなのかもしれないけど
 
 
テレビ報道やネット情報をみて現状に対する不満を述べるよりも
 
僕は自分で少しでも動くことを選択します。
 
 
それを具現化するために
 
僕はもう少し考える時間が必要なのですが
 
 
必ずや形にしたいです。
 
 
みなさんのお力を少しだけ貸してください。