20年目に突入です!!!

本日、5月5日をもちまして、ハバナムーンは開店から丸19年が経ち、そして20年目に突入いたしました。

長いようで短いようで。

いや、やっぱり長い時間だよ(笑)。

20年目に入ったら、そろそろ「老舗」なのかな?とも思ったり。

いや、やってる側としては、毎日が必死で

翌日の仕込みどうしようかな?とか、今月支払い全部できるかな?とか

先のビジョンなんか持てない状態がず~っと続いて

で、19年経ったという感じです。


時々言いようのない虚無感に襲われますが、

でも人生なんかそういうもんなんだろうなぁ、って思ったりもしたり。

まぁそんな感じで生活してます。

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吉祥寺の文化の良心、「バウスシアター」が30年の歴史に幕を下ろします。

「あって当たり前」「あるのが前提」だった場所がなくなる時、人はいろいろな事を考えると思います。

今、吉祥寺は物凄いスピードで変化してます。

それがいいことなのか悪いことなのかはここでは触れません。

ある人にとっては「いいこと」であり、またある人にとっては「悪いこと」

そういうことなんでしょうね。

もしかしたら、そんな個人の感傷なぞ関係なく変わっていくのが「街」というものなのかもしれません。


僕は下北沢を見捨てた人間です。

学生時代から24歳の時までの6年間、僕は下北で育ちました。

昼も夜も、時間があれば必ずここに居ました。1985年から90年までです。

それからちょっとの間、阿佐ヶ谷に住み、その後吉祥寺に来て22年経ちました。

今、下北沢に行ってもちっとも面白くありません。

むしろ、早くそこを立ち去りたい気分になります。

あそこもかなり変わりましたが、でも、そんな街と何十年も付き合って、いい場所を見つけている人を何人も知ってます。

僕の下北沢は、自分が生活した6年が全てなんでしょうね。

いい悪いではなく、僕の中でそういう街なんでしょう。

なにせ、個人的な思い出が沢山詰まっているから。

利己的な思考ですね。

でもそれも僕だけの真実なんです。



さて、吉祥寺です。

22年も居ます。

昔、僕は中道通りの奥に住んでました。

中道通りは、急変を遂げた吉祥寺の象徴かもしれません。

22年前からあの通りに残っている店は、多分3,4軒くらいしかないんじゃないのかな?

そのくらい顔ぶれが変わりました。

まだ芽瑠璃堂があって、米屋があって、通り入り口の歯科があって、地下の居酒屋「いろは」があって

僕が「外の人間」だったら、あまりの変わり様に、先の下北と同じ感覚を持ったかもしれません。

ただ、違うのは、僕もこの街で店を構えた「当事者」であるのです。そして20年近くそこで生計を立てている。

変化と付き合っていかなければならないのです。

今出ている「新潮45」という雑誌にはバウス閉館に伴ってか「吉祥寺があぶない!」という特集が組まれています。

要は、「住みたい街No.1」のこの街が、大事な部分を忘れて変わりつつある、という内容なのですが。 

でも、この間、佐野史郎さんとそんな話をしていた時、こんな言葉を頂きました。

「吉祥寺はもう終わっている、と思えば考え方は変わるよ」


実は僕もそうなのでした。

「終わった」なんていうのは、個人的な街への思い入れの幻想でしかないのです。

自分が思っていることと違うから、それが「終わり」という言葉になるんだと思います。

「ぐぁらん堂」や「下駄や」、移転前の「のろ」がない街、綺麗になった「いせや」、そしてバウスまでもなくなる街、吉祥寺はある人にとっては「終わった」んでしょうね。

でも、それでもここでず~っと生活している人達がいる。

そして街は存在しています。

変化を止めることなく。

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この「ハバナムーン」という店は、名前を変えずに20年近くも吉祥寺という街に居させてもらってます。

ごくたまに「15年くらい前に通ってたんですよ。まだあってよかった」っていってくれる方がいます。

奇特なごく僅かな方々にとってはもしかしたら、この店がその人の「吉祥寺」なのかもしれません。ありがたいことです。

でも、僕も変化しています。

店の中身は、20年前とはまったく別ものです。

モヒートも、ミントジュレップも

ガンボもジャンバラヤ

カレーもありません。

当初、12年間やってきた南口の店舗とは全く違います。


久しぶりに来て、内容がまったく違う店を体感してしまったら

それはその人にとって「終わった」んでしょうね。

僕もそういう経験は沢山あります。


でも、そうせざるを得ない個人的理由があるからやってるんです。


こちらへ移転した当初、独りで店を切り盛りすると決めたあと

僕は、移転前の店で愛されたおつまみの再現を試みました。

それがお客様へのおもてなしだと思ったから。

調理経験などほぼない僕は(バーテンダーでしたから(笑))必死に先人の調理人の味を守ろうと

毎日毎日料理と格闘してました。

何年か経って、なんとかその味を再現できるレベルまで来たなぁ、と思った時

変なことに気付きました。

エスニック料理など、毎日の賄いで食べたくないのです。

40歳前後の僕の身体が求めていたものは、ほうれん草のお浸しとか、シンプルな味付けのポテトサラダとか

そんなものだったのです。

そんな時、趣味のサイクリングで所沢へ行って、農家の路面販売のブロッコリーに出会いました。

一房150円。

安い。

そして、その豊かな味にビックリしました。

それから、とりつかれたように農家を巡り始め、そしてそこで初めて野菜に「旬」があり、そのまさに旬なものが一番美味いということを自分の身体を通して知りました。

そういう何かが動いている時って、いろんな「必然性」が何故か自分の周りに降り注ぎます。

実は周りの人たちも年を重ね、身体に楽な食べものを欲していたりするのです。

その流れの中で「たなかれいこ」という方に出会いました。

れいこさんの本を読んで、いろんな不可思議な身体の反応が理路整然と納得出来て

「食べるってそういうことなんだ」と

自分の中で全て納得がいったのです。


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外食産業について

提供する側、提供される側、考え方はそれぞれだと思います。

昔、よく言われたのは

「外でご飯を食べるっていうことは、家で作れない美味しいものを食べることだと思う」

です。

それもわかります。

でも、「提供する立場」から、僕が思ってしまうのは

「自分が食べれないものをお客様に提供するのは、これ以上失礼なことはないのではないか?」

ということです。


「美味しい」って本来どういうことなのか?

僕は最近「邪魔にならないこと」って認識してます。

「刺激」は美味いかもしれません。

でも大事な何かを失っている気がするんです。

化学的に合成された添加物を排除して、僕の身体は物凄く快適です。

アホみたいに酒呑みますが、二日酔いは皆無です。

こういう食生活にして、僕はよかったなぁ、って心底思います。

ごくたまに外食すると

翌日酷い二日酔いに襲われます。

一日棒に振ります。

何が添加されてるんでしょうか?(苦笑)

ね。可笑しいでしょ?

僕は外食産業に従事する人間なのです(笑)。 


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今だから、ここで初めてネット上で公開します。

実は去年の5月に店を閉めようと思ってました。

もうちょっと無理かな、と。


ここ数年、「食べること」について、物凄く勉強してます。

遺伝子組み換え、添加物、病気の原因、その他もろもろ

政治も無縁ではありません。

原子力ムラと同じくらい強力な「見えない権力」が、「食べる」という人間が成すべき最低限の行為にまで「利権」という名の下にコントロールされてます。

TPPなんて受け入れたら、無自覚な日本人は全員病気になります。で、医者が儲かる。で、政治家に沢山献金される。

世の中ってそういうことなんだって凄くわかりました。


「オーガニックワイン」が売りの店の野菜はS友で買ってたりします。でもみんなありがたがって食べてるみたいです。

馬鹿みたい。

でも、世の中はそういうものなのかもしれません。


うちの店は実はやたら高い調味料を使ってます。

でも世間から言うと高いだけで、ちゃんとしたものはそれなりの値段がするものです。

なぜなら、ちゃんとしてるから。


ロジャースで売ってる醤油が何故にあそこまで安いのか。


それは「醤油」でないからです。


あれは醤油に似せた添加物です。まったく発酵してません。身体に害しかありません。




僕は「美味しい!!」って言っていただけるお客様に、作り方を全て教えます。

その人のさじ加減があるので、絶対同じ味にはなりません。第一、調味料も違うし。選ぶ野菜も違うし。

だからその人のヒントになればいい。



「外食するな!」っていつも言ってます。外食産業従事者なのに(苦笑)。


でもね。

「外食」って

食べることじゃないんですよ。

その店に惚れこんで

そういう人との横のつながりが出来る。

おつまみは、その単なる掛け渡しなんですね。


そういう邪魔にならないおつまみを僕は作りたいです。



今、店を続けていること。

それは、店を辞めると意識した去年からずーっとあるんですが


「まだ言いたいことがある」んです。


とにかくこんな世の中ですから

無自覚である人に、

「今の世の中、こんなんだよ」

ってまだ言いたい(笑)。

そこで、みんなにいろいろ考えてもらいたい。

答えが問題じゃない。

そこに関してみんなが考えるっていうことが大事。

あとは

そのことに関していろんなそれぞれの意見があるだろうから

それをちゃんと聞く耳をもってもらいたい。


自分の言い分だけじゃ

コミュニケーションじゃないですよね。


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吉祥寺の大学出身のアホな首相のおかげで


戦後最大の転換期に

どうやらむかっているようです。


でも、もっとそういうことを問題意識として持たなきゃまずいんですよ。


それは、普段の生活にも言えることです。


3.11以降

少なくとも僕は

普段のさりげない生活にも、なにか疑問を感じてます。

「便利」なものが人間をおかしくしてないか?


去年、念願だった店の電子レンジを捨てました。

ここ何年か個人的には使ってなかったけど、万が一(笑)、忙しくなったら電子レンジがないとヤバイんじゃないかって。;


今、生活に困ることもありません。


僕は玄米食ですが、3合まとめて炊いて、冷凍して。

解凍するときは蒸し器でやってます。

でも、全然不憫は感じません。


蒸し器のほうが美味いです。

ちなみに電子レンジで解凍すると、栄養素のほぼ全てがなくなるそうです。

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ということで

僕はウソをつかず

正直に生きているつもりです。

自分で考えて感じた全てのことをやってるつもりです。


それが合わず

自分のなかで「終わった」と

感じるなら


それはそれで

全然問題ないです


多分

今のあなたは

他のものに興味があって


「定点」でもがいているものには興味がないのだから。



こんなアホな店の店主です。

もしご興味があるのなら

ご懇意の程を(笑)。