R.I.P Mr LEVON HELM
本来なら、PCに向かって一昨日のAZUMI&スーマーのライブ・レポートや来月の石原ケンザブロー君のライブ告知なんかしなければいけないのだけれど
申し訳ない。どうにも今日はできません。
THE BANDのドラマー、レヴォン・ヘルムが71年の人生を駆け抜けて天に召されました。
3日前はスーマーとAZUMIさんのライブの打ち上げで、小関さんと桜井さんとレヴォンの自伝を開きながら
一昨日は良元優作君のライブの打ち上げで、大西君とスーマーと桜井さんと
これでもかというくらい、THE BANDの話をたくさんした。
レヴォンの病状など知る由もなく。
昨日の営業前に、PCを開けたら危篤状態の報が飛び込んできた。
昨日はずっとレヴォンのソロをかけ続けた。
今日もずっとTHE BANDをかけ続けるだろうな。
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ラジオやテレビというメディアの進化があって
エルヴィス・プレスリーという絶対的な存在の後
また全てを集約して
パンク誕生の前年にまたしても拡散した
THE BANDは
アメリカにおける音楽の唯一無比の完成形なのだ。
それが「ROCK」と呼ばれるものなのかもしれない。
彼の育った環境と音楽に、敬意と憧れを持って真摯に向き合った4人のカナダ人が構成したのがTHE BANDだ。
もし、リチャード・マニュエルがこの南部という場所に生まれていたのなら
あれほどまでの絶望感を持たずに済んだのかもしれない。
憧れと裏腹の
どうにも埋めがたい疎外感
それは、日本という場所に住みながら、あの場所で生み出される音楽に惹きつけられる我々なら容易に想像できるはずだ。
そこへの情景を、自分の生活に置換することで表現できる人とできない人が世の中には存在する。
レヴォン・ヘルムという人は
その生涯で、まったくぶれなかった生き方をした人だと思う。
子供の頃に体験したことを全てとし
初めてブルーズやロックンロールに出会った時の初期衝動のまま駆け抜けていった。
「RAG MAMA RAGができたとき、エルヴィスより凄いと思った。「これで俺達は売れるぜ!!」って本気で思った」
なんてことを70年代に言える人はそうそういない。
たまたま時代が彼に寄り添い
たまたま忘れ去ったりしただけなのだ。
レヴォンは変わらなかった。
それは晩年の数々の作品を聴いていただければわかることだ。
リチャード・マニュエル、リック・ダンコ、レヴォン・ヘルムという3つの肉体を失い
ロビー・ロバートソン、ガース・ハドソンという2つの頭脳が残った。
THE BANDが
特に最初の2枚がよく音楽の理想郷とされるけど
その後の彼らの生き方や作品についても
それぞれの立場で時代と照らし合わせると、僕らに伝わってくるものがある。
THE HAWKS~THE BANDでの16年間
そしてその後のおのおののソロも含め
僕にはいつまでも指針であり
そして一生そばに置いて聴き続けるであろう大事な存在だ。
お疲れ様でした。
そしてありがとうございます。
そして
これからもよろしくお願いいたします。
R.I.P