2012.3.11 Vol.16 イノトモ

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とてもとても
 
聴く側も
 
唄う側も
 
静かに染み入るように何かに没頭して
 
時間が流れていく、特別な空間。
 
 
あのときからちょうど一年経ったこの日、僕らは素晴らしい時間をイノトモの唄と共に過ごすことができました。
 
 
 
 
「人になにかを伝える」ということを生業に選んだ人がいる。
 
自分が表現したいこと、そして人に伝えたいこと
 
たとえばそれが唄であれば
 
直接的な言葉をダイレクトに訴えるのも表現手段のひとつである。
 
けどそれは自分が生まれ持った声とか、キャラクターとかに則していればそれが有効なんだと思う。
 
 
誰かを愛するということを「表現」するとする。
 
それは直接「好きだよ!」と訴えるのも手段であるし
 
その行為を間接的な表現で埋めていくのもひとつの方法だ。
 
要は自分が愛するということを人に伝えるために
 
自分が一番適切な表現手段を客観的に認識できているかどうか
 
そしてそれができているかどうか
 
そこが表現者として重要なことだと
 
僕は思ってる。
 
 
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一児の母親であるイノトモという女性は
 
一緒に呑んだことがある方ならわかると思うが、とても気前がよく芯が通った九州女子だ。
 
そして彼女は表現者としての自分を客観的に見ることのできる稀有な女性でもある。
 
イノトモがレッド・ゼッペリンの、それもボンゾの大ファンなんて
 
誰も信じないでしょ?(笑)
 
熱いんですよ、この娘は。
 
 
自分の声のキャラクターをわかったうえで
 
彼女は言葉とメロディーを慎重に選び、その時々にあう音を使い分けて
 
彼女の唄を聴いてくれる人たちに最良な状態で今伝えたいことを運んでくれる。
 
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前から言及している、彼女が使う「僕」という一人称は
 
実は一回自分が伝えたいことを客観的に見て
 
「物語り」に置き換えるための重要な「三人称」なのかなって
 
最近はそう思ってます。
 
 
 
僕がここで書きたいことはなにか?
 
 
それはこの場所であの時間を共有してくれた人たちには
 
なんとなく伝わってくれると思う。
 
 
芯のぶれない一人の女性が
 
選んだ言葉をささやくように紡いだ唄の数々は
 
静かでささやかなものかもしれないけど
 
みんなの心の中に確実に何かを残したはずです。
 
 
 
僕達の日々の生活の中に寄り添いながら
 
大事なことを力強く残していってくれる彼女の唄が
 
僕は大好きです。
 
 
そんな彼女の唄を
 
今月も目の前で聴くことができます
 
4月4日、キセルとの競演。
 
お楽しみに!!!!
 
 
イノトモさん、いつもありがとうねー!!!!
 
 
 
この日のライブの写真をFacebook上にアップしました。よろしかったら是非。