中村とうようさん
先日「ミュージック・マガジン」誌を購入した。
多分、10年ぶりくらいかもしれない。
そして、次号も購入するだろう。
お世話になった雑誌が、そして初代編集長がどう「おとしまえ」をつけるのか
僕には見届ける義務があると思って
さすがに立ち読みはやめた。
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僕がルーツ・ミュージックに興味を持ち始めたのは、上京した大学時代からだ。
先輩がテープに録ってくれたマディ・ウォーターズの「ROLLING STONE」が妙に心をかきむしり、そこから一気に僕の世界が開けていった。
時代は80年代半ば。今のようにインターネットなんかない時代だから、情報源というのは、レコード屋の店員との話であったり、いろんなことを教えてくれたバンド仲間の先輩の話であったり。行きつけの飲み屋のマスターだったり。また、日本盤のライナーノートというのはとても重要な情報源だった。
そしてそのなかの一つに「ミュージック・マガジン」と「レコード・コレクターズ」という雑誌があった。
古本屋でバックナンバーもずいぶん購入した。
バックナンバーからは、その時代に当時の音楽がどう受け入れられていたか、という時代背景も垣間見れた。
そういう作業のなかで、かならず出くわす方のひとりが中村とうようさんだった。
今まで点だけだった音楽と音楽が、線で繋がるというスリリングさを体感できたのはこの人のおかげだ。
時代は「ワールド・ミュージック」の時代になって、
閉塞したロックに辟易としていた僕らは、まさに世界同時進行で「未知」の世界の音楽を堪能した。
そこにも道先案内人として「中村とうよう」という名前があった。
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氏が述べたことが「全て」では絶対ない。
いろいろな音楽経験をして歳を経たリスナーの僕も「????」と思うことは多々あった。
「そうじゃないでしょ?」ってよく思うことが近年では珍しくなかった。
でも
流れを紡ぎあげて総括する「主軸」がなければ「アンチテーゼ」も成り立たないわけであって
氏はそういった役割なのだ。
僕には僕の音楽の「読み方」があり
でもそれはやはり
中村とうようという人から教わったことから拡大解釈したり、異議を唱えたりというところで成立している気がする。
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なぜこんな文章を改めて書くかというと
自称「音楽好き」の若者が
あまりにも中村とうようという人を知らないことに驚いたから。
それほどまでに、今の時代に必要とされなくなったという事実に驚愕したから。
あなたがもしポピュラー音楽という文化に興味をもっているのであれば
好き嫌いではなく
この人のこと、もう少し知っていたほうが自分のためになると思いますけど。
初代編集長を「抹殺」した当誌が、次号でどうけりをつけるのか興味深いです。
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「評論」というものが健全に成立していなければ
そのジャンルの「文化」というものは成り立たないと僕は思ってます。
文学、映画、芸術、はたまたフットボールでさえも。
そもそも「唄えない」「弾けない」「撮れない」「描けない」「蹴れない」人たちが対象を得て「文字」で表現するのが「評論」なのであるから、いろんなことが矛盾することが多々あるのだ。
でもそこを敢えて別次元にもっていく作業だということを意識できているか
「批判」ではなくあくまでも「批評」。
それはひとつの「表現手段」であるのだ。
そのさじ加減はいつでも際どいのではありますが。
「感想文」とタイアップによる「よいしょ文」が蔓延するポピュラー音楽というジャンルは、今後どういった方向に進んでいくのだろうか?
「大衆音楽」という大義名分をあまりにもアカデミックに追求するあまり、もっとも大衆と離れてしまった空虚さ。
わかってたんだろうなぁ。
その昔
渡さんは彼にこういったそうだ。
「文句あるんだったら、お前が作って弾いて唄ってみろ!!!」
それはそれでひとつの真理でもある。