2月15日で56歳になった。
昔からあんまし祝い事に慣れてなくて
この日も普通にその日をいつもの巨大倉庫の中で迎えた。
それはもう
それでいいのだ。
でも実は56歳って
僕の中で特別な年齢なんだ。
そう。
高田渡さんが亡くなった歳である。
17年前に「渡さんはどんな景色見てたんだろうな、その歳で」とづっと思いながらここまで来た。
同じようなことを考えてた時が過去にもあった。
40歳の時だ。
で、なにか違って見えたのか?
いや、別に変らなかった。というかよくわかんなかった。
人間が歳を重ねることでその人が根本的に変わるわけがないんでね。
多分、僕の精神構造は14歳の時から止まったままである。
相変わらず世の中と上手くやりくりできないし
嫌なものは嫌なままである。
でも
流石にその許容範囲というか
なんとか流していける処世術は
少しは身についてきたんだろうな、って思う。
ほんの少しだけだけどね、みんなよく我慢できるな、生きていくために。凄いよ。僕は無理(涙)。
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自分の親が56歳の時にどんな風景をみてたんだろうかね?
親父が56歳の時、僕は27歳だ。
僕が会社を辞めた時だ。
「呑み屋やるんだ」って宣言した時だ。
ほぼ下戸な親父は意味わかんなかっただろうな、このバカ息子は。
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おふくろが56歳の時、僕は29歳だ。
ハバナムーンを開店した時だ。
来月83歳になるうちのおふくろは、僕と喋るとき、未だに「お母さんはね」っていう。
そういうもんなのかね?
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去年の1月4日に103歳11ヶ月で大往生した婆ちゃんが56歳の時
僕は7歳だったんだな。
熊谷の榎木町の長屋で一人暮らししてた時。
あの家に遊びに行くのが結構好きだったな。
夜ご飯は決まって「焼肉」。
豚の小間切れをキャベツとネギで炒める。
味付けは「エバラ焼肉のたれ」
これが僕の「焼肉」なんだよな(笑)。
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56歳か。
何年か前に山内のおっさんが亡くなった時に献杯してて
自然と「まぁ渡さん越えしたんだからさ(年齢ね)、山内さんの人生も良しとしてあげないとな」
みたいな話が自然と出てきてね。
僕らの中では56歳まで生きるというのが何となくひとつのアイコンになってたかもしれない。
僕だけかもしれないけど。そんなこと感じてたのは。
「僕ら」というのは
店でやってたサッカーチーム「ハイトーンズ」のことね。
渡さんはそのチームの永代名誉顧問なんですよ(笑)。
この話はまた改めて。無茶苦茶面白い話満載ですので。
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そんな感じでとにかくいつもとは違う特別な年齢なんですわ
56歳は、ね。
この1年は丁寧に生きていきたいと思ってます。
最近。一番大事にしなくちゃなって思ってるのは
「ユーモア」かな?
とかく物事を真剣に考えちゃう自分が忘れがちなこと。
何事もユーモアがないと
人生世知辛いものになっちゃうよなって
心の余裕持たないとね。
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ということで
これからもよろしくお願いいたします。
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写真1枚目は56歳を迎えて最初に観た朝焼け(焼けてないけど)。
子供の頃、自分の部屋だった2階から観た風景。
18歳の僕はここから出ていきたくてしょうがなかったんだよな。
2枚目は幼稚園からの幼馴染を例の店に呼び出しての中華三昧。
久しぶりに人と対面で喋れて楽しかったなぁ。ありがとね。
それにしても老けたな、顔・・・・
56歳とはこういうことか(笑)。