最新号の「レコードコレクターズ」はRCサクセション・デビュー50周年の大特集。
仕事納め、一人打ち上げでいつもの焼き鳥屋で熟読してたら、まぁいろんなこと思い出した。
でも、全部のアルバム聴いてるわけじゃないんだよなぁ。
今、ちゃんと時系列で聴いたらまたいろいろ思うんでしょうね。
いろいろ思い出したので個人的備忘録を。
長くなるだろうから何回かに分けよう(笑)。
1.「最初のRCサクセション」
1981年。地元吹上高校に入学した僕は、とある女の子に恋をした。
部室の前に呼び出して告白。よくあるパターンだ。
結果は×
「ごめんね。・・・あ、木下君音楽好きなんだよね?RCサクセションって知ってる?
最高だからさ、聴いてみてよ。レコード2枚持ってるから貸してあげる」
その時借りたのが「PLEASE」と出たばっかりの「BLUE」。
日本語の唄はそれまで吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫なんかばっかり。
それ以上に影響を受けてたのがビートルズだった僕に、ロックのビートと日本語がドカーンと響いたのがもう衝撃で。
特に「トランジスタ・ラジオ」。
くだらなすぎる高校を本気で辞めようと思ってた時、屋上でラジオから流れる音楽にしけこむ様子を空から眺めるこの歌詞にどんだけ救われたか。
この曲が日本の国歌になればどれだけいいかって今でも思ってる。
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「ジョニー・ブルー」は多分僕が酒絡みの曲を認識した2番目だろうな。
最初は吉田拓郎の「ペニーレインでバーボンを」かな?
原宿もバーボンの味も全く知らない中学生が一生懸命唄ってたんだよな(笑)。
あ、2番目は河島英五の「酒と涙と男と女」だ!!
うちの下戸の親父が好きだったんだよな、これ。
だから酒ソング3番目になるんだけれど、今となってはこれが一番リアリティがあるな。
♪ブルースを!!ブルースを!!あいつは今夜もやるのさ♪
高校一年生。
ブルースなんてまだ出会ったことない。
でも、ずっと耳に残ってて。
上京して本物のブルースを聴いて
初めてこの歌詞がどんだけかっこいいこと言ってんだかわかったんだよな。
盟友、華村灰太郎は
50過ぎてもこの唄に縛られて
これを体現するためだけに生きてんだろうよ。
だからライブやる前にテキーラ一気呑みするんだろうな。
バカだね、あいつは本当に。
僕にはもうできないので(理性が邪魔します:笑)、生涯やりつづけてください。
最高だよ。
でも死ぬなよ。
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吉祥寺から自転車を漕ぐと大体30分かからずに「たまらん坂」に着くのだ。
なんかいろいろ行き詰ったりすると必ずここに立ち寄ってた。
国立駅から上る「坂の途中」を左折したところにあるアパートを見つけて
「ここかな?」
なんて思ったり。
この坂からお月様見たら、またいろいろ思うんだろうな。
昼間しか行ったことないや。
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大人になってから一番響く曲は「まぼろし」だったりする。
やっぱりみんな「理解者」がいることで居場所を確保できんだよな、ホント。
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前にも書いたけど
初めて「吉祥寺」という場所が僕の中に刻まれたのが
「いいことばかりはありゃしない」
だった。
「吉祥寺あたりでゲロを吐いて」
だってさ。
新宿から国立へ戻るのにはもう少しかかるからなぁ。
「月光仮面が来ないのとあの娘が電話かけてきた」
っていう歌詞が高校生の時から全く理解できてなくて
37,8歳の時
店でこの曲かけてたら
急にわかったんだよ。
「あ!!これ月経のことじゃん!!!」
って。
長年の謎が解けてね
大興奮してさ
勢いでキヨシロー大好きなレヨナに電話したんだよ。
「レヨナ!!!ようやくわかったよ!!!これ、生理のことだ!!大発見!!!」
そしたらレヨナ
「キノピー!!!そんなこと今までわかんなかったの???」
だそうです。
という一回りも下の女子にたしなまれて
その日は随分呑んだ記憶があります・・・・
嗚呼、これ続くな・・・・
9連休だからいいか(笑)。