「追憶の泰安洋行」
長谷川博一著
「追憶の泰安洋行」読了。
多分、日本人がリリースしたアルバムの中で断トツで一番好きで愛着があるレコードが
1976年、クラウン・レコードから発売された細野晴臣氏の「泰安洋行」だ。
このアルバムの深層を徹底的に探ったのがこの本。
レコード・コレクターズで連載していた時は機会があれば読んでいたのだが
こうまとめて読み進めると改めて凄いレコードだなって思う。
どう凄いかって、僕が改めて語るのも野暮である。
一枚のアルバムを中心に稀代の音楽家、細野さんを縦に横に斜めに
とんでもない熱量で書きなぐる(いや、ものすごく細部まで丁寧ですけど)文章は必読です。
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僕がこのアルバムに出会った時のことを思い出している。
それは1990年じゃなかったかな?
24,5歳の時だ。
そう。ものすごく遅いのである。
当時勤めていた会社の同僚達と茨城の大洗海岸に車で行った車中だ。よく覚えてる。
・・・というか、大学卒業してから4年間だけちゃんとサラリーマンやってたんですよ(笑)。
何台かの車で向かったんだけど
僕が乗った車に同乗してたのが一つ上のパイセン、二町氏。
彼は絵にかいたようなイモオタクで(YMOですね)
彼が車中のBGM用に持ってきてたのが
この泰安洋行だった。
もうさ
一曲目の蝶々さんのスネアのロールでびっくりした。
「二町さん、これ誰???なにこれ????」
「え?知らないの??イモの細野さんだよ」
「えー!!!!!????」
今まで慣れ親しんだセカンドラインの
特にドクター・ジョンの「GUMBO」で分かりやすく提示されたあのビートがさ
コンピューター大好きな小太りのおっさんに何か感じさせてたというのが衝撃で(笑)
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大学時代の僕は
多分ブラック・ミュージック原理主義者だったと思う(涙)。
ブルース、ソウル、R&B、ジャンプ、ジャイブをひたすら聴いていた。
特に傾倒してたのがニュー・オーリンズの音楽で
大学4年の時、1988年には勢いあまってニュー・オーリンズまで行ってしまった。
その時点で
僕はこのアルバムも
大滝さんの「ナイアガラムーン」も
夕焼け楽団も全く知らないのである。
ちょっと年上の方からすれば信じられないだろうが
すみません。
70年代の日本でニュー・オーリンズ・ブームがあったなんて全く知らなかったんですよ。
僕の中では87年のミュージック・マガジンの文屋さんの記事から自分が見つけ出した「新しい音楽」だったのでね(笑)。
ボ・ガンボスが世に出るちょいと前ですな。
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それまで僕が聴いていた日本の音楽は
ま、物凄く情報量が少ない田舎の生活の中での友達が教えてくれた
RCサクセションや、ルースターズや
地元のパイセン、ザ・バイク(現コレクターズ)の加藤さんのモッズ系
大学に入って上京してからは
ブラックミュージックの影響下にある人達
ウエスト・ロード、憂歌団、サウス・トゥー・サウス、バッパーズ、ブレイク・ダウン
そんなもんだったかな。
あ、夜遊びはしてたので
TOKYO SOY SOUSE関連は耳にしてた。
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今まで70年代のロックなども一度も通過してない25歳の私。
もちろん当時の日本のロックも全く知らなかったしね
本当にここから「開いた」んですよね。音楽の聴き方が。
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そんなもんだから
初めて「泰安洋行」を聴いたときは
このアルバムの根底にある大体の元ネタは分かった上なんですよね。
・・・マーティン・デニーは知らなかったな。
あれはその後、27歳の時にハワイに行ってエキゾチック系を200枚くらい買い漁ってよく理解できたけど。
ニュー・オーリンズの複雑怪奇なビートはね
僕も結構オタクなので
自分なりに「ずれ」の構造を理解してて
でもそれを当時から考えると20年以上前にやってた人がいたんだって。
それもかなり完璧にね(1拍子の理論は面白いですよ。まさにその通り)
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このアルバム聴かなかったら
僕はいわゆる「ロック」といわれる音楽に出会わなかったんだろうな。
25歳のこの時点で
ザ・バンドも
ライ・クーダーも
一度も聴いたことなかったです。
そこから
ルーツ・ミュージックに影響を受けて
それを自分なりにどう解釈して表現するのか
そういう音楽に俄然惹かれていったし
もちろん
その根本であるものにも
より愛情を注いだりね。
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なので
このアルバムから
今の自分が始まってます。
もちろん時代的に「ワールドミュージック」ブームは始まってたんだけど
それと同じ時にこのレコードに出会えたのは
自分としては幸せだったんだと思うよ。
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衝撃を受けて
すぐCDを買って
そのあとVIVIDでアナログ再発があって
オークションでオリジナル盤にたどり着いて
計3枚
でももっと買ってる。
僕も
著者の長谷川さんのように
外国人の友人に「日本の素晴らしい音楽教えてよ」と言われたときは
必ずこのCDをプレゼントしてるので
10枚以上は購入してるわな。
はい。
貢献してますわな(笑)。