音楽 生活 向き合い方

なんだか仕事中にこの曲が頭から離れず、ずっと唄ってた。
 

ターヒール・スミスの「NUMBER 9TRAIN」

ご機嫌なロッキン・ブルースである。
 
早く帰って大音量で聴きたいなと、帰宅早々これが入っているレコードを探す。
そう、どのオムニバス盤に入ってたか全然思い出せなかったのです。
 
捜索すること約15分。
ようやくブツにありついた。
 
これかー。


 
Pヴァインから昔出たFIREの音源を使ったコンピ盤だ。
 

「N.Y. WILDGITARS ~BOBBY'S HARLEM ROCK VOL.1

イメージ 1

 
確か、大学生の時お茶の水ディスク・ユニオンでゲットしたんだと思う。もう30年も前か(笑)。
 
 
ジャケットも最高にかっちょいい。
久しぶりに針を落とす。そうそうこれこれ(笑)。





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自分の人生
 
あとどのくらいあるのかは誰にもわからんけど(一応120歳まで生きることを設定してるのだがね(笑))
 
自分のレコードをターンテーブルにのせる時に
 
「あと何回これ聴くんだろうなぁ」ってちょっと切なくなったりする。
 
店をやってた時は1日8時間は確実に音楽を聴いていた。営業時間中はずっとレコードかけてたので。それを20年間。
 
だからそんなこと思ったこともなく。
 
今、平日は全く音楽を聴かない。聴く暇がない。
 
でもね。
 
脳内再生の音は凄いんだよね。
 
ちゃんと細部まで脳みそに音が刻まれてるのがわかるんだよ。
 
仕事中はずっと頭の中で唄ってる。
 
 
 
かつ気に入らなかった音は、自分なりに良い方向に修正されてたりする。
 
 
大好きなアーティスト、例えばジョージ・ハリスンとかジェシエド・デイヴィスなんかには必ず僕が不得意とするエリック何某さんのギターが入っているのだが
 
脳内再生を経ると見事に聞こえなくなるのだ(笑)。
 
これはこれで素晴らしいと思う。ある意味「リミックス」だ。
 
 
今まで聴いてきたほとんどの音楽は細部まで脳みそで再生できる自信がある。
 
それは誰にも聴かせられないけどね。
 
そうするともしかすると
 
僕の「レコードを聴く」という行為は
 
脳内で鳴り響いている音が
 
「本当にそうだったっけ?」という再確認のためだけなのかもしれない。
 
 
そのためだけに何千枚ものレコードとCDを手放せないでいるのかな?
 
 
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僕はここ10年くらい同じレコードを買い直し続けている。
 
 
再発盤や日本盤をオリジナル盤に買い直してるのだ。
 
 
何故かというと、散々聴いてきたレコードからまだ知らない音が聴こえてくるから。
 
レコード洗浄への異常なる愛着も全く一緒。
 
 
知らないことがまだある・・・そういうのが嫌いなのかもしれない。とことん知り尽くしたい。
 
 
自分なりに知り尽くした、と納得した状態で
 
 
自分の言葉と態度でその音に対して敬意を表したいのです。
 
 
それはね
 
僕は楽器を弾くし、唄も歌ってたし、オリジナルの曲を作ってみたりしたけど
 
客観的に見て才能がないのです。
 
 
一生懸命(という言葉も不毛だが)音楽を聴いてきたつもりなので、自分の立ち位置もよくわかるんです。
 
 
全然そのレベルに達してない。
 
 
だから自分が大好きな音楽に出来ることは
 
違うアプローチです。
 
 
それはこれからも変わらないかもね。
 
 
そういった意味ではあの店を20年続けた意味はあると思う。
 
 
 
さて、問題はこれからですね(笑)。
 
 
いろんな社会問題、特に僕の場合は食に関する異常な状況に対して何とかしなきゃ、と思い
 
今の生活に移行してるのであるが
 
「音楽がある生活」から離れた今現在がその観点において全く満たされてないのも事実だ
 
 
結構発狂したくなる瞬間も多々あるのだよね。
 
 
僕が持つ2つの大事な問題
 
「音のある生活」
 
「食べるという大事なこと」
 
この二つを何とか両立させて迷いなく老後に突き進みたいのであるが
 
 
 
 
・・・・まだまだ悩み多き年ごろの51歳なのであります(涙)。
 
 
嗚呼、一枚のたいしたことないオムニバス盤からこんな話になっちゃいました。
 
失礼いたしました。
 
 
 
 

NUMBER 9TRAINみたいなどうでもいい最高のロッキンブルーズを何にも考えずやりっぱなしにできるバンドもできたらいいのにね。

 
 
人間って欲深い生命体なんだねぇ・・・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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