「麻原彰晃の誕生」 高山文彦著  文春新書 760円

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一ヶ月前にたまたま本を売りに行ったらみつけてしまい、即購入した本です。300円。


この本が出ていたのは知っていた。

著者のノンフィクションライター、高山文彦さんの文章に最初に出会ったのは、確かあのスポーツ雑誌「NUMBER」だったと思う。

ウクライナのサッカー選手、アンドリー・シェフチェンコについてのコラムだったのだが、そこにチェルノブイリの話と、ウクライナの国民的詩人、タラス・シェフチェンコのことも引用して、多角的に描写したその文章は、なんとも圧巻だったのだ。

ちなみに高田渡さんが唄っている「くつが一足あったなら」の原詩がシェフチェンコであります。

その後「鬼降る夜」を読んだ。

高山さんは宮崎県の高千穂出身。そう「天孫降臨」「天の岩屋戸」等が残る神話の土地で、また「鬼伝説」も残っていて(有名な夜神楽の今昔も言及)そこでの現在の過疎化、介護問題などを絡めながら自分の立ち居地を探っていくという、またこれも壮大な文章で、妙に感動したものです。


そんな高山さんが書いた麻原の本ですから、絶対切り口は違うだろうな、と。

サリン事件発生20年の今、この本に出会ったのもなんだか必然のような気がして、これまた一気に読みました。


20年前の1995年前半

阪神大震災はあるわ、オウムの一連の事件はあるわでもうグチャグチャだった。

自分は5月の開店に向けて、いろんなものが一気に動き始めていた時期だった。

オウムに関してはとにかく「得体の知れない集団」だった。

90年当時、杉並区の阿佐ヶ谷に住んでいた僕は、選挙の際あの「ショーコ、ショーコ・・・」を駅前で目の当たりにして、とにかく不快感と違和感しかなかった。

阿佐ヶ谷駅の南口でそれは行われていて、急いで北口に動くと、そこでは石原軍団勢ぞろいで伸晃を応援しているという(苦笑)。

物凄く嫌な日だったなぁ・・・・・。

なんだか杉並区は、そういうものが溜まるのだ。


その後、一連の事件は当然ながら追いかけてはいたけど、そこまで原因を追究するようなことはしなかった。

今改めてこう読んでみると、その異常さが際立つと共に、

いや、実は時代の歪みからでた、

・・・・・言葉としては難しいけど「必然」だった、というか必然が極端な形として現れてしまったのではないかな、とも思う。


本を通じて、丹念な調査から今まで知らなかったことが次々と現れてくる(僕の勉強不足だけかもしれない)。

松本智津夫の家族構成、貧困な実家、盲学校へ入れられた理由(彼は全盲ではない)

盲学校での虚言癖、名誉欲、暴力性、そして幼児性


その後の彼の動向を考えると、なんだかわからんでもない。


どうしてこういうことになってしまったのか。

麻原という人間一人のせいにしてしまえばそれまでだが、世の中にそういう下地があったというのは事実であり

事実あれほどまでの信者がいた(今もだ)ということは、アドルフ・ヒトラーが実は選挙で選ばれたということとも似てなくはない。

ある意味での「民意」がそこに存在してるんではないか?

そんなことを考えさせられる本です。

要は人事で済ませちゃいけないんだよ、と。じっくり考察することによって、この一連の事件から世の中が見えてくる気もするんですよね。


最後にこの本から文章を抜粋します。


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修行者としても、教祖としても、とっくに終わっていると一番自覚していたのは、本人だったのではないだろうか。

だから教団内に「大蔵省」や「防衛庁」や「諜報省」などを置いて、ひとつの「国家」をつくろうとした。サリンを武器として大規模なテロを仕掛けたのは、彼にとっては「戦争」だったのかもしれない。

しかし私に言わせれば、国家とは人間の堕落と廃頽が行き着いた究極の姿である。

夢見物語だと笑われてしまうかもしれないが、個人の自由と他者の尊厳をたがいに認め合い、一人勝ちを求めずに、みながみな自立し支えあって生きてゆく、これこそが人間の求めるべき世界像であるとなにがなんでも信じたい。醜悪な国家とは、それをあきらめた、またはそうしたことを想像さえしたことのない人々が、自己の繁栄のために共謀してつくりあげた暴力的なシステムである。堕落と頽廃を極めたその人々は、こころない言葉に華やかな衣装をまとわせて、自国の民から物心両面の尊い財産を奪い、自己の延命のために他者を攻撃する。

麻原という人格は、それにそっくり当てはまる。


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「麻原」というところを

某国首相の名前に置き換えても、これって文章が成立する気がしてしょうがないのは

果たして僕だけであろうか???

そうでないことを願いたいのだが。