13日(木) YELLOW MAGIC CARNIVAL

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またオークションでゲットしたものが届きました(笑)。こんなことばっかりやってる。
 
75年発売のTIN PAN ALLEY「キャラメル・ママ」のクラウン・パナムのオリジナル盤。
 
いや~ビックリした。。。
 
今まで所有していたのは、ヴィヴィッドから10年位前にリリースされた再発盤だったのだが、このオリジナル盤の音質は別物。ボトムがしっかりし、かつ細かいニュアンスまではっきりわかる素晴らしい音質です。
 
買ってよかった!!
 
たった1500円ですよ、こんな名盤が。ちゃんとポスターもついているし、ね。
 
やっぱりこの時代の和モノを全部買いなおそう、と思った次第です(笑)。こんなことばっかりやってる。ホント。
 
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「TIN PAN ALLEY」ってなに?っていう人がいると思うので少し。
 
はっぴいえんど」を解散した細野晴臣が、次に進んだのがセッションマンとしての仕事だった。
 
73年にリリースされた名盤「HOSONO HOUSE」を一緒に録音したメンバー、はっぴいえんど鈴木茂(G)、小坂忠とフォージョーハーフの林立夫(Dr)、松任谷正隆(P)を核にセッショングループとして活動しようと、細野さんはもくろんだ。
 
初期にした仕事で一番大きいのが荒井由実のデビュー作「ひこうき雲」と吉田美奈子「扉の冬」のレコーディング。
 
その時、このユニットを命名したのが「キャラメル・ママ」。
 
バンド名をつけるのが大好きな細野さんである。「ハイ・ファイ・セット」も細野さんの命名だ。ちなみにハイ・ファイ・セット荒井由実をこの世に出した、村井さん率いるアルファ・レコードの第2弾である。
 
この名前は、学生運動の最中、その学生にアメを差し入れしたお母さんが居た、という逸話から採ったらしい。
 
キャラメル・ママは別にライブをするわけでもなく、あくまでもセッション・ユニットとして数々のレコードに名前を刻んだ。
 
毎日のレコーディング現場で人脈が広がり、彼らのグループは70年代の日本のポップスにおける重要なポストを占めるようになる。
 
そんな拡大発展系のユニットにつけた名前が「ティンパンアレイ」である。当然細野さん命名
 
ティンパンアレイとは、戦前からジャズやミュージカルの名曲を多数生み出していた、音楽出版社が多数あつまるニューヨークはマンハッタンの一角の総称である。
 
ここにあった「ブリルビル」というところに若きキャロル・キングバート・バカラック、エニー・グリニッジニール・セダカなどが住み込んで、毎日名曲を量産していたのであります。
 
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そんなユニット「ティンパンアレイ」名義の第1弾アルバムがこれです。
 
ここに関わったいろんな人が好きなように演奏しているオムニバス的な雰囲気。
 
上記の4人に加え、後藤次利高中正義斉藤ノブ矢野顕子南佳孝久保田真琴山下達郎大貫妙子、駒沢裕城などが参加してます。
 
75年にはティン・パン・アレイ名義で小坂忠吉田美奈子をゲストに加え「ファースト&ラストコンサート」を全国35箇所で敢行した。この一部の映像は昔WOWOWとかでもやったので、今はYouTubeとかでも観れると思います。
 
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僕はどうしても細野さん中心に話を進めてしまうのだが(笑)。
 
このアルバムに入っている「YELLOW MAGIC CARNIVAL」は細野さんのエキゾチック路線のある意味集大成のような気がする。
 
オリエンタル、カリビアン、ノスタルジーが渾然一体となった素晴らしい曲です。
 
その後、細野さんは自ら追求したエキゾチック・ミュージックを「電子化」「記号化」する作業にとりかかる。
 
それが「YMO」であります。
 
バンド名の命名はこの曲がモチーフです。
 
無国籍多国籍を追求した、極めて「ジャパニーズ」な音がここから始まるのです。